2007年03月24日

枕投げと人間 第2回

枕投げと人間、過去ログはこちら→第1回

前回は、枕投げを行う主体として常に「人間」が前提にされていることについて概論を述べました。私達が知っている範囲で枕投げを行うことが確認された動物はヒトのみですし、漫画などで枕投げが描写される場合も、人間か、ロボット、擬人化された動物のみが主体になっていることは、誰もが経験的に知っている事実でしょう。この事実に基づけば、枕投げ観の根本には人間観があるといっても過言ではありません。「枕投げと人間」と題したこのシリーズでは、人間観を通して枕投げ観を考察するのが目的なのでした。


さて、人間観を考えるには第一に、その土台である実在的人間について述べておかなければなりません。実在的人間とは、すなわち人間の物質的側面であり、これは生物学の知見に基づいた人間観そのものに他なりません。

では、生物学とはどのような学問でしょうか。生物学は、動物や植物など、生物に関わる学問です。日本では小学校や中学校の「理科」の課程で全ての生徒が履修することからも解かるように、自然科学の中でもとても重要な分野です。理科の授業で、植物の観察をしたり、指先の皮膚の細胞を顕微鏡で覗き込んだりした経験がおありのことと思います。最近では「DNA」や「進化」といったキーワードも有名です。生物学の応用分野には「医学」や「農学」という学問があります。

近代科学の合理的な思考法に基づき、生物学では人間を特別視することを廃します。倫理的な理由や宗教的な理由で、人間を動物に分類する考えを受け入れない人々もいますが、少なくとも現代において、生物学以上に合理的な理論が存在しない以上は、生物学を人間観の根本に据えるのが無難な策と言えましょう。

この思想の下、生物学では人間も動物の一種と考えられています。動物の中でも、脊椎動物の一種と考えられています。最も長たらしい書き方をすると、人間は動物界 脊索動物門 脊椎動物亜門 哺乳綱 サル目 ヒト科 ヒト属 ヒト種 ヒト亜種になります。なお、「ホモ・サピエンス」という学名は、「ヒト属ヒト種」に対応するラテン語です。さて、ではこの分類法の意味について説明しましょう。

については諸説が乱立していますが、動物については「動物界」でほぼ固定されているので気にする必要はありません。は生物全体を2〜5程度の界に分類しています。動物界の他に、「植物界」「菌界」などがあります。

についても諸説ありますが、人間が脊椎動物であることは間違いないので細かいことは気にしません。イヌやネコから始まり、恐竜や鳥、魚など、私達が「動物」と聞いて連想できる動物のほとんどは脊椎動物です。脊椎動物は、背骨がある動物のことです。脊椎動物門以外にもたくさんの門がありますが、特に節足動物門が有名です。節足動物門の下位には、生物界最大級の規模を誇る昆虫綱という分類があります。

は、日常会話で使われるとほぼ同レベルの分類で、哺乳綱、鳥綱、爬虫綱、両生綱、硬骨魚綱、軟骨魚綱などがあります。

は、そのさらに下位の概念で、哺乳綱ではサル目のほか、ネコ目、ウマ目、ネズミ目などがあります。ちなみに、イヌはネコ目に分類されていて、さらに下位ののレベルでネコ科とイヌ科に分かれます。サル目の下位には、ヒト科のほか、テナガザル科、キツネザル科などがあります。「ヒトはサルの仲間」とよく言いますが、少なくともテナガザルと比べれば、イヌとネコほどの距離があるということになります。

ヒト科はさらに、ゴリラ属、チンパンジー属、アウストラロピテクス属、ヒト属などに分かれます。アウストラロピテクスは、社会の教科書にも出てくる有名な原始人ですね。(ちなみに、イヌ科の下位にはイヌ属、タヌキ属、キツネ属などがあります。チンパンジーとヒト、アウストラロピテクスのおおよその距離感がつかめるかと思います。)

ヒト属のさらに下にあるのが、種レベルの分類です。ヒト属には、ホモ・エレクトス(北京原人)や、ホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)、ホモ・サピエンス(ヒト)などの種がいます。どれも歴史の授業でお馴染みですね。

これ以下の分類になると、亜種品種になります。品種は、ブドウの「巨峰」やコメの「コシヒカリ」などです。亜種は意外と適当に決められてることが多いのですが、例えばイヌは、オオカミの亜種です。

これ以下になると、個体差のレベルになります。種の分類を目的にした場合は、種より細かい分類に意味はありません。

なお、たまに人種という言葉が使われることがありますが、これは社会的な概念であり、生物学用語ではありません。生物学的には、個体群同士の地域差程度の意味しかありません。「人種は亜種のようなもの」という発言をときどき耳にしますが、これは間違いです。現生人類は、亜種レベルでも同じ種「ホモ・サピエンス・サピエンス」であるとする見解で一致しています。ホモ・サピエンスの亜種には、ホモ・サピエンス・イダルツ(ヘルツ人)という、16万年前にアフリカに生息していた、現生人類の直接の祖先が知られている程度です。


現生人類であれば、日本人でも、アメリカ人でも、ヨーロッパ人でも、アフリカ人でも、教えさえすれば、枕投げができそうです。サッカーのW杯のような例もありますので、世界中の人間が枕投げに興じることも、決して夢物語ではありません。では、ヒトの亜種、ホモ・サピエンス・イダルツに、枕投げはできるのでしょうか。同じヒト属でも、ネアンデルタール人ならどうでしょうか。同じヒト科でも、チンパンジーならどうか。同じサル目でも、メガネザルならどうでしょうか。これから検証すべき課題といえるでしょう。(チンパンジーなら、訓練すれば枕投げもできそうですね。)


では、疲れたので今回はこの辺で終わります。
タグ:人間
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2007年03月18日

枕投げと物理学 第1回

かつての「枕投げ」の本家、ウィキペディアの[[枕投げ]]の項目には一時期、枕投げの「物理学的側面」という節があり、枕が人に当たった場合の衝撃や投げた枕の軌跡などが解説されていました。これは私Bmuoが2007年1月に執筆したものでありますが、執筆後しばらくしてから、ほかの執筆者によって問題提起がなされました。「物理学的側面」含め複数の節が、ウィキペディアの公式ルールのひとつである「検証可能性」を満たしていないのではないかと指摘されたのです。また、現在では草案段階ではありますが、将来は公式ルールに採用される可能性の高い「独自の研究は掲載しない」にも抵触することも指摘されました。

これがウィキペディアの公式の方針に基づく処置であるのですから致し方ありません。しかし、投げた枕の軌跡を計算し、それを紹介することは、2004年[[枕投げ]]初版執筆当時からの私の夢でもありました。その間に精力的に物理学の基礎を学び、今年の1月になって、ようやく執筆に漕ぎ着けることができた執筆者個人の感情としては、ようやく執筆した矢先に今回のような処置がなされたのでは、少々寂しいものがあります。そこで当ブログでは、「枕投げと物理学」と題して、ウィキペディアには諸事情により掲載することのできない「枕投げの物理学的側面」について、代わりに詳述していく予定であります。今回は、物理学という学問について、非常に大雑把ではありますが解説しておきましょう。


物理学が、自然科学から社会科学までにわたる全ての近代科学の中でも、最も権威ある学問であることに異論はありませんでしょう。物理学は近代科学の金字塔であり、近代科学の中でも最も「伝統的な」学問なのです。近代科学の体系の中では、数学と哲学を除く全ての学問は、物理学の特殊な応用に過ぎないという極論もかつては成り立ったほどの学問です。

全ての化学的な法則は、極論すれば、量子力学という物理学の一分野から導いてくることができます。化学物質とは結局、素粒子の組み合わせに過ぎないからです。全ての生物学的な法則は、極論すれば、化学から導いてくることができます。生物とは結局、化学物質の組み合わせに過ぎないからです。全ての社会学的な法則は、極論すれば、生物学から導いてくることができます。社会とは結局、人間の組み合わせに過ぎないからです。これが、「全ての学問の基礎にあるのが物理学であり、それを記述する言語が数学である」という、「物理学中心」の世界観です。


かつてこのような極論が常識とされていたのは、物理学が他の学問と比較して急速な発展と体系化を遂げたこと、幅広い応用分野があったこと、他の学問を包括する一般性があったこと、などが挙げられるでしょう。これが、物理学帝国主義ともいえる、一人勝ち状態を生み出したと考えられます。具体的に言い換えれば、自然哲学の中でも、運動や熱、電気などに関する法則が、偶然か必然か、数学的に簡潔に表現できたこと。産業革命によってそれらが機械工学や無線通信などの豊かな応用分野を生んだこと。化学を始めとした自然科学の多くの分野に、一定の基礎を与えることに成功したこと、あるいは、今は無理でも物理学が十分発展すればそれが可能になると信じられていたこと。これにより、物理学は科学の王として君臨するようになったのです。


物理学の基礎が出揃った18〜19世紀当時の「数学」といえば解析学、すなわち微分積分の学問です。数学のなかでも解析学が急速に発展したのは、デカルトとニュートンの影響が大きいと考えられます。デカルトが幾何学的な問題を代数的に表現し、それが後に解析幾何学という分野として成立しました。(これは現代でも高校数学の非常に重要な範囲で、大学入試でも頻出の重要な項目です。)そしてニュートンは、解析幾何学的な方法によって当時の難問「ケプラーの法則」に数学的に厳密な証明を与えました。その後、解析学はオイラーやコーシー等の手により洗練され、やがてデデキント等による実数論の体系化や、コルモゴロフ等による確率解析などを経て、現代に至ります。

その一方で、ガロア等に発する代数学や、ポアンカレ等に発する幾何学なども20世紀に劇的に発達し、多くの応用分野を持つようになりました。かつては解析学ばかりが主要な道具でしたが、現代では数学的な道具立ても多くなりました。そして、現代でも物理学はこれらの数学も利用して多くの成果を挙げています。

しかし物理学の発展の一方で、物理学以外の学問の急速な発展も目を見張るものがあります。確率解析の応用により近年急速に発達している経済学や、代数学や量子力学の応用により発達した計算機科学、計算機や顕微鏡などの道具立ての普及により発展している分子生物学などがその例と言えるでしょう。これらの学問と比較すると、物理学はやや古い学問という印象があるのも事実です。現代物理学が研究しているのは、宇宙や素粒子といった、およそ「今すぐ役に立つ」研究ではないと多くの人が考えるようになりました。物理学は、かつての「科学の王」の威厳を失って久しいといわれます。


とはいえ、物理学の方法論は、今後とも一切役に立たなるということは決してないでしょう。世界には、未だ多くの未解決問題があるのです。そもそもなぜ[[枕投げ]]の項目から「物理学的側面」の節が削除されたのかといえば、そのような先行研究がないからなのです。

このブログでは、次回以降「科学の王」たる物理学が400年の歴史で培った強力な方法論を援用して、枕投げについて分析していきます。
タグ:物理
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2007年03月13日

枕投げと孫子 第1回

『孫子』は紀元前5世紀頃に中国で編纂された軍事の専門書であり、軍事に関する世界的な古典として有名です。西はナポレオンから、東は武田信玄まで、『孫子』を愛読書とした軍人は数知れません。

『孫子』は、紛れもなく世界の古典です。それは、軍事分野に限らず、人間の広く一般のことに関するある種の思想の体系を与えているからです。例えば、『孫子』を基礎付ける最も重要な思想ともいえるのが、軍事書でありながら、必ずしも戦争を推奨していないことです。『孫子』では、戦争で勝利するのは次善の策であり、交戦することなく勢力を広げるのが最善とされています。私達は軍人ではありませんが、この思想から得るべきことは多いでしょう。

このように『孫子』は単なる軍事書の枠を超え、人生訓としても読める含みがあります。『孫氏』の本質的に現実主義的な性格から、『孫子』をビジネスに応用しようとする考え方も近年流行しています。


さて、枕投げです。枕投げは、ある種の戦争であると同時に、人間社会の縮図でもあります。(この件に関しては近い将来「枕投げと社会学」と題したシリーズで連載します。)

枕投げを一種の戦争状態と考えれば、『孫子』から直接的に教訓を得ることができるでしょう。また、人間社会の縮図と考えても、間接的に『孫子』から教訓を得ることができるのです。

「枕投げと孫子」と題したこのシリーズ、第1回は第一章『計篇』から、最初の1段落を見てみたいと思います。なお、段落分けについては、岩波文庫『新訂 孫子』(金谷治 訳注)に準拠することにします。




以下、本文です。

孫子曰、兵者國之大事、死生之地、存亡之道、不可不察也。
故經之以五事、校之以計、而索其情。
一曰道、二曰天、三曰地、四曰將、五曰法。
道者、令民與上同意可、與之死可與之生而不畏危也。
天者、陰陽寒暑時制也。
地者、遠近險易廣狹死生也。
將者、智信仁勇嚴也。
法者、曲制官道主用也。
凡此五者、將莫不聞、知之者勝、不知者不勝。
故校之以計、而索其情。
曰、主孰有道、將孰有能、天地孰得、法令孰行、兵衆孰強、士卒孰練、賞罰孰明、吾以此知勝負矣。


枕投げの運営の観点から、このテクストを解釈をしてみましょう。まず、「兵」とは「戦争」のことであり、この場合は「枕投げ」と考えるのがいいでしょう。すると「兵者國之大事」とは枕投げは学級の大イベントである。という意味になります。枕投げの質次第では、修学旅行中の学級の緊張状態は大きく変わるため、枕投げを行うには気をつけなければなりません。例えば、あまり枕投げをしすぎて寝不足になったら、翌日の行動に支障をきたしますよね。また、枕投げが原因で喧嘩になることもあるかもしれません。枕投げを行うことは常にリスクと隣りあわせなのです。このような問題を防ぐために、気をつけなければならないことがあります。さて、では何に気をつけて枕投げを行えばいいのでしょうか?それは、次の5つです。それは、道、天、地、将、法です。

道とは、学級のリーダーも、そうじゃない人も、自分がリーダーのようなつもりになって、積極的に枕投げに興じ、先生に怒られるというリスクをともに覚悟することです。

天とは、空気を読めということです。もし明日は朝から登山ならば、今晩枕投げなんかをしたら疲れてしまってそれどころではなくなりますね。最後の日とかにしましょう、ということです。

地とは、場所をわきまえろということです。男子が枕投げを口実に、図に乗って女子の部屋に乱入してはいけません。また、寝たい人が多い部屋では、枕投げをしてはいけません。自分の学級が早く寝てしまった場合、無理に枕投げをしようとせず、隣の学級が盛り上がっていたらそちらに乱入しましょう。

将とは、枕投げを行う人の能力のことです。枕を投げる技術から、先生に叱られたときの言い訳まで、その技術は多岐にわたります。

法とは、仲間達との信頼関係のことです。仲間との信頼関係があって初めて枕投げが成立します。

これらの5つを理解することが、枕投げの成功の秘訣といえるでしょう。逆に、枕投げに精通した人物から見れば、この5つの条件だけで、枕投げが成功するか失敗するかが自然にわかってしまいます。


ここまでで、今回の内容は終わりです。次回は、計篇の続きから見ていきます。
タグ:孫子
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2007年03月12日

枕投げとWiki 第1回

インターネット社会では、現状では、特定のサイトが1人勝ちをするケースが多いようです。

買い物であれば楽天、本であればアマゾン、辞書を引くならgoo、検索ならGoogle、ポータルサイトならYahoo、ソーシャルブックマークならはてな、掲示板なら2ちゃんねる、動画ならYouTube、SNSならmixi。そして、百科事典ならWikipediaといったように。日本語圏では、これらのサイトでほぼ決定されていると言っても過言ではないでしょう。いくつかの拮抗する勢力同士の競争が、まともに成立しているようなケースは稀です。強いて挙げるなら、検索業界のGoogleとYahooや、動画業界のYouTubeとニコニコ動画くらいでしょうか。

1人の人間がチェックできるサイトの数を考えれば、この流れは当然とも言えます。過剰に専門化されたサイトをたくさん巡回するよりは、いくつかの総合的なサイトに情報が一元管理されているのが望ましいのは明らかだからです。


さて、百科事典の機能がWikipediaで事実上一元管理されていることは、裏を返せば、Wikipediaに掲載されなかった情報は、この世に存在しないのと実質的に同じであることを意味します。Googleの検索にかからないサイトと同じように。これはすなわち、Wikipediaに掲載されない事項は、百科事典に載せるほどの博物学的な価値はなく、調べられる価値もないという宣告にほかなりません。


実は、この「事実上の1人勝ち」状態こそが、Wikipediaが荒れる原因のひとつです。

Wikipediaがこれほどメジャーなサイトになり、もはや1人勝ち状態になった以上は、Wikipediaには世界中のあらゆる情報を百科事典的に説明する義務があると考える人々がたくさん現れるのは当然です。そして彼らは、百科事典的に説明されているべき項目について、とても熱心にWikipediaに投稿するのです。ところが、彼らがあまりにも熱心であるがために、Wikipediaの公式の方針に反する内容が多くなってしまうことがあります。Wikipediaでは、公式の方針に少しでも違反する内容が見つかれば、即刻削除の対象になってしまいます。

例えばサブカルチャーの分野は、その性質上Wikipediaの公式方針を満たさすように執筆するのは困難であることから、非常に「荒れる」分野として知られています。音楽の分野でも、世界的に活躍する若手作曲家(と同じ名前を名乗り、同一人物と思われる人物)が、Wikipediaから追放されてしまった事件はあまりにも有名です。

項目の執筆者やその擁護者は管理側による問答無用の削除を「方針のための方針」などと批判し、管理人達はこれを「ルール違反」と付き返し、喧嘩に発展するケースは度々見受けられます。そして、そういう場合に限って、多数決の少数派の意見が通されてしまうことが多いのですから、混乱や不満が生じるは必至です。枕投げの秀逸落選過程や、便所飯の削除過程は、その最たる例と言えるでしょう。


このような喧嘩が頻発する現状を考えると、Wikipedia以外にもWiki百科事典があることが望ましいといえます。既にWikipdian達の手により、日本語版ウィキアにて、ウィキペディアよりも緩いルールで運用される第2のウィキペディアが作成される計画があります。("Wikidas"でググってください。)ウィキアはウィキペディアと同様に、Mediawikiを使用しているため、使い心地はほとんど同じになり、ある程度普及することも期待できそうです。


しかし、ここであえてひとつの提案をします。編集合戦や喧嘩が起きやすい分野で、特にそれが内容ではなく専ら項目の体裁に関する問題の場合は、思い切って外部にwikiを作ってしまうのです。ウィキダスでさえ、そもそもimidasのパロディであることからも分かるとおり、せいぜい流行語の「辞典」でしかありません。しかし、サブカルなどのマニアックな分野の執筆者は、そのような「事典」的に整理された執筆をしたいわけではないのです。ところが、独自Wikiであれば、そのWikiで好きなだけ内容を掘り下げていくことができます。いわば、Wiki本来の用途に返るわけです。


確かにこれでは、ひとつのサイトへの情報の一元化は達成できません。しかし、ここで発想を転換します。実は、Wikipediaへの情報の一元化は、前時代的な「Web1.9的な」発想なのです。というのも、現在では、いわゆる「仕事ができる」人たちは既に、RSSを使った情報の一元化を試みているからです。Google検索やRSS、そして最近ではソーシャルブックマークも巨大な勢力になりつつあります。

そもそも、インターネットは各ページがハイパーリンクでつながれた情報ネットワークなのです。確かに、技術的には「ハイパーリンク」の理念を実現するのはそう単純な話ではありませんが、ハイパーリンクの理念は、それらをユーザーからはシームレスにし、全てのページ間を自在にリンクできるようにすることです。ハイパーリンクの思想の下では、ひとつのサイト内に情報を一元化することに、ほとんど意味はないのです。


以上、既に独自のWikiを運営されている方達から見れば、至極当然のことを書き連ねてしまいましたが、このような駄文を書き連ねたのも、日本で「ウィキ」と言った場合「ウィキペディア」を意味する場合があまりにも多い現状からです。啓蒙活動も必要かと思い、以後このブログでも「枕投げとWiki」と題して、"Wiki"の布教活動を行います。

今回は、手軽に設置できるlivedoor wikiに、Wikiを試験的に設置しました。将来的にはレンタルサーバーを利用して、PukiwikiまたはMediawikiを設置することを予定しておりますが、当面はlivedoor wikiにて内容を充実させる方向で予定しておりますので、当ブログと併せて、こちらも是非ご覧ください。
古典枕投げ理論 - Classical Makuranagetics

タグ:wiki
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2007年03月07日

枕投げとWeb 2.0 第1回

こんにちは、Bmuoです。私Bmuoが発起人として立ち上げた枕投げプロジェクトが、インターネットの各所で予想外の反響を得たことは初回でも述べたとおりです。発起人としましても非常に喜ばしい限りです。

ところで、「Web 2.0」という言葉をご存知でしょうか。2006年春頃の梅田望夫氏の名著「ウェブ進化論」の効果もあって、だいぶ有名な言葉になりました。(まだ読んでいないそこのあなた、教養として読んでおきましょう。)




Web 2.0の意味を一言で説明するのは簡単ではありませんが、大まかに言えば、Windows 95が発売され情報化社会が開花した頃のインターネットを「Web 1.0」としたときに、そこからの10年程の間に、インターネットのあり方に本質的な革新が起こったということを意味しています。Web 2.0的なものとして誰もが一様に例示するものが、Google(グーグル)です。Googleについては優れたサイトや書籍がたくさんあるので、そちらを参照してください。

Google以外にもよく例示されるものにWikipedia(ウィキペディア)があります。ウィキペディアは初回にも述べたとおりインターネットの百科事典で、Wiki(ウィキ)と呼ばれる仕組みを使うことで、その内容を誰でも手軽に書き換えることができるようなシステムになっています。そのため、中には悪意ある人が意図的に虚偽の情報を書き込んだり、私のように無知な人が誤った情報を書き込んだりする可能性もあって、「そんなデタラメな百科事典を誰が信用するものか」という批判がしばしばなされます。

もっともな批判です。事実、ウィキペディアにはかなりの量の誤った情報が含まれていますし、ウィキペディアをプロパガンダに利用する「工作員」事件も続発しています。しかし、ウィキペディアの強みは、悪意ある人以上に善意ある人が多く活動しているということです。誤った内容があれば修正し、また常に内容を最新のものに保つ機能が働いているのです。

このような、多数の参加者の善意を期待することが、Web 2.0を支える思想の基礎になっています。それは「衆愚」という批判に対する「みんなの意見は案外正しい」という標語にも見て取れます。




そのようなウィキペディアでも、最も成功した項目のひとつが、私が発起人として企画した[[枕投げ]]です。[[枕投げ]]はいま、ひとつの成功ケースとして多方面から注目されるようになりつつあります。もちろん、ある一面では成功ケースでも、反対側から見れば最悪のケースということもありえます。現に「枕投げを真似したようなくだらないジョーク記事が乱立している」と嘆くウィキペディアの重鎮もいます。

私が発起人となった[[枕投げ]]がこれほどまで影響力を持ってしまったからには、今後のインターネット社会のあり方について私の意見を述べる責任を感じ、このブログを開設しました。


「枕投げとWeb 2.0」と題した今シリーズ、第1回は[[枕投げ]]を巡るここ3年間の歴史を振り返ってみようと思います。[[枕投げ]]に関する重要な出来事や、影響力のあったエントリーを集めてみました。



2004年
3月12日
ウィキペディア日本語版に、Bmuoにより[[枕投げ]]の項が新設。翌日には秀逸候補に挙がり、16日には英語版に一部翻訳されている。この頃ウィキペディアでは「枕投げフィーバー」状態になり、現在の内容もこの時期にほとんど完成されている。

3月13日
ウィキペディア日本語版にて、Sampo氏が[[枕投げ]]を
「秀逸な記事」
に推薦。賛成多数ではあったが、ジョークとして処理され、2004年8月に落選で決着。

3月16日
ウィキペディア英語版に、Aphaia氏により[[Pillow Fight]]の項が新設。なお、Aphaia氏は普段は日本語版で活動しているユーザーであり、日本語版の冒頭文からの英訳が掲載された。


2005年
6月8日
はてなブックマークにて、最初にブックマークされる。

10月10日頃
はてなブックマークで注目の記事になり、はてな内のコミュニティでの言及数が急増する。(上のリンクを見よ。)

10月20日
2ちゃんねるのニュース速報板で「変な部分で解説が充実している」と紹介される。新設時の「枕投げフィーバー」以降で私が確認できた最初のスレッド。

10月25日
デジタルARENAで、枕投げの特集が組まれる。

11月6日
人力検索はてなにて、[[枕投げ]]が「無駄に凄いページ」として例示される。

2006年
1月7日
ウィキペディア日本語版にて、あなん氏により
「珍項目」
の項が新設。[[枕投げ]]は初版から掲載され、現在に至っている。初版に掲載されているのは[[枕投げ]]と[[鼻毛]]のみであり、ある意味快挙といえる。

9月4日
J-CASTニュースにて、[[枕投げ]]が「マニアックなページ」として例示される。

9月8日、10月30日〜11月
ウィキペディアにて、TotalEclipse氏による「枕叩き」論争が勃発。英語版とのリンクを巡って、日本の「枕投げ」を欧米の「枕叩き」と同一視し、interwikiによるリンクを施すべきかどうかが争われた。現在未解決。なお当ブログでは、両者は根本的に同一であるとする立場を貫く。

2007年
2月19日
1月12日に私Bmuoが行った大幅な加筆が、全中裏氏により「検証可能性」を満たさないとして全削除。「検証可能性」の方針の運用方法を巡った論戦が勃発。私は現在準備中のため未コメント。現在でも未解決。

2月24日
発起人であるBmuoが、ブログ「現代枕投げ理論」を開設。このブログです。



ここまでで、現時点までの歴史が概観されたかと思います。枕投げブームは2005年秋頃に集中しているようです。

さて、次回「枕投げとWeb 2.0第2回」では、[[枕投げ]]の編集履歴を詳しく辿っていきたいと思います。
タグ:Web 2.0
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2007年03月01日

枕投げと人間 第1回

今日から弥生。今年は冬が来ないまま春を迎えそうですね。暖かな陽気のもと、皆様いかがお過ごしでしょうか。こんにちは、Bmuoです。

さて前回は、枕投げの定義について考えたわけですが、そのときに、枕投げを行う主体として「人間」を大前提としておりました。しかし、枕投げは「人間」以外が行うことはできないのでしょうか。

確かに、枕を投げる能力を備えてさえいれば、枕投げはできそうにも思えます。しかし、それは本当でしょうか?外見上「人間」と区別は付かないが「自我」が欠如した人形、所謂「哲学的ゾンビ」は、本当の意味の枕投げを「行う」ことはできるのでしょうか?

ところで、そもそも「人間」とは何でしょうか?


質問ばかりで申し訳ありません。実は、この問は非常に難しい問題なのです。

「人間とは何か」という問い掛け自体は非常にシンプルです。しかし、的確な解答を示すのは非常に難しい。難しいがゆえに、今まで多くの「人間」を悩ませてきました。そして、各人が各人なりの答えを示すことを試みてきました。

皮肉屋は、「人間とは、自らの正体などというものが気になる唯一の生物である」と定義しました。

ある宗教家は、「人間とは、生まれながらの罪である」と考え、他の宗教家は「人間とは、魂の一形態である」と考えました。

ある思想家は、「人間とは宇宙の中心にある最も尊い存在である」と考え、他の思想家は「人間そのものが宇宙である」と考えました。

経済学者は、「人間とは、社会というゲームのプレーヤーである」と定義するでしょう。

法律家にとっての人間とは「生物学的なヒトの、出生から死亡まで」のことであり、それを「自然人」と呼ぶことによって、それ以外の「物」や「法人」などといった存在との区別を図るでしょう。

SF作家にとっては、人間とは「地球に住んでいる知的生命体」のことであり、それを「地球人」と呼ぶことによって、宇宙に住んでいる「宇宙人」などといった存在との区別を図るでしょう。

生物学者は、人間とは「ヒト科ヒト属ヒト」のことであり、「ヒト科ゴリラ属ゴリラ」とは別の種として区別するでしょう。

このように、各人、さまざまな人間観が存在しているようです。ところで、ここまでさまざまな人間観を見てみると、どうやら「人間とは何か」という質問は「何が人間ではないか」という質問とほとんど同じ問い掛けのようです。そして実は、この問は「何が枕投げの主体たりうるか」という質問への解答を得る手がかりとしての役割が期待できるのです。


「枕投げと人間」と題した今シリーズでは、「人間とは何か」を考えることにより、枕投げの正体に迫っていきます。


第1回は概論にとどめ、次回より詳しく考察します。第2回は、生物学の、特に分類学の視点から「人間」について考察し、枕投げの主体としてふさわしい「人間」の姿に迫る予定です。
タグ:人間
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2007年02月26日

枕投げとはなにか

こんにちは、Bmuoです。当ブログでは、枕投げに関するあらゆる情報を提供することを目標としておりますが、「そもそも枕投げってナニ?」という読者の方もいらっしゃるかもしれませんので、まずは枕投げとはなにかについて、簡単にご説明しなければなりません。

枕投げとは、読んで字のごとく枕を投げあう遊びのことです。日本では、友達の家にお泊りするときや、集団で旅館に宿泊するときなどに行われることが多いようです。修学旅行の消灯時間前後の定番行事とも言われています。ただ、枕投げは親や教師には通常禁止されているため、子供たちは大人の目を盗んで枕投げをします。枕投げは、子供を興奮させるには十分な遊びです。

これらの事実から、枕投げとは「修学旅行などで、消灯時間前後に寝室にて複数人の子供が興奮して枕を投げあう遊び」と認識されていることが多いようです。ちなみに、修学旅行は基本的に日本でしか行われていない行事ですので、枕投げは日本独自の文化ということになります。

ただ、この説明にはいくつか問題点があります。長々と説明するよりは、まずは以下の事例をご覧になってもらうほうがよいでしょう。百聞は一見にしかず、です。



この動画は、イングランド北部の中心都市、マンチェスター市にて2006年12月23日に催された枕投げ大会を撮影したものです。動画データはYouTubeより取得しております。

この動画をご覧になると、イギリスの街中で、昼間から、興奮してお互いを枕で叩きあう大人たちの姿が確認できることと思います。

また、同じ大会のものではありませんが、次のような写真もご覧いただきましょう。

Polochons-Velvia-06.jpg

この画像はフランス人の人工知能学者Rama氏によって撮影された、2006年にフランスにて開催された枕投げ大会の様子です。枕が破損して飛び散った羽毛は、まさに「宴の後」とも申すべき様相を呈しております。(なお、この画像はRama氏の意向によりCreative Commonsライセンスに基づいて配布されています。)

このようにしてみてみると、枕投げは日本の修学旅行の専売特許ではなく、世界各地で、しかも大人から子供まで、昼夜を問わず行われえていることが伺えましょう。

さらには、実は枕を投げることは必ずしも本質的ではないことがわかります。枕投げにおいて本質的なのは、枕を投げることではなく、枕を武器にすることなのです。

とはいえ、このような動画や画像があるからといって、枕投げが大人も子供も楽しめるみんなの遊びだ、と決め付けるのは早計です。彼らは、大人の遊びとして枕投げを楽しんでいるのではなく、童心に返って枕投げを楽しんでいると考えた方が自然でしょう。昼夜の問題や、開催地の問題も同様です。

さて、このあたりで一度、話を整理しておきましょう。ここまでの議論から、大まかにいって、枕投げとは以下のような遊びと定義できるでしょう。

  • 複数人の原則子供が、
  • 原則として夜、
  • 原則として寝室で、
  • 興奮して、
  • 枕を武器として、
  • 遊ぶこと。

今後の枕投げの議論において、これこそが枕投げのミニマムな定義として受け入れられるものと確信しております。

タグ:枕投げ
posted by Bmuo at 16:39 | Comment(0) | TrackBack(1) | 枕投げ

2007年02月24日

あたらしい枕投げのはなし

枕投げ - Wikipedia

2004年3月12日14時04分(JST)、誰でも編集できるインターネットの百科事典「ウィキペディア」に、ひとつの項目が産声を上げました。それが[[枕投げ]]でございます。リンク先は[[枕投げ]]の初版です。

手前味噌ではありますが、私Bmuoが執筆いたしました拙作[[枕投げ]]が、各方面から大変ご好評をいただいております。このような駄文が好評を得ることなど予想だにしておりませんでしたゆえ、当初は大変困惑しておりましたが、その後[[枕投げ]]は多くの編集者の方々による校訂や批判を経て、現在ではウィキペディア日本語版有数の人気項目に成長し、[[枕投げ]]がブログなどで話題に上るのを目にしては、わが子の成長を見守る親のような気持ちで一杯になるようになりました。ここまで[[枕投げ]]を支えてくれたウィキペディアの編集者の皆様、そしてご愛読なさってくださった読者の皆様に心から感謝の意を表します。

本日は、まもなく参ります[[枕投げ]]誕生3周年を前に、ここSeesaaにて、ブログを開設させていただく運びとなりました。皆様、何卒宜しくお願いいたします。

さて、今回ブログを開設した理由ですが、それはウィキペディアの公式方針と[[枕投げ]]の存在の整合性が度々問題視されるようになったからです。

[[枕投げ]]の項目が作成されたのは、ウィキペディア日本語版が開設されてからまだ1年半程度、スラッシュドットで紹介された頃からちょうど1年程度の頃でした。現在では「古参」と呼ばれる方たちでも、この時期はまだ参加していらっしゃらなかった方も多いのではないでしょうか。もう、だいぶ過去の話になりましたね。

当時のウィキペディアでも、現在と同様さまざまな問題が発生していましたが、編集者達の対話によって解決されていました。例えば、明らかな虚偽や著作権侵害、百科事典としての体裁をなしていない項目は、当然削除の対象になりました。

さて問題になるのは、その時代に作成された項目やその過去ログは、現在はどのように扱われるべきなのかです。当時はあまり意識されなかったり、あるいは存在していなかった規則でも、現在では重視されているものも少なくありません。例えば、近頃項目削除の理由としてしばしば指摘される「検証可能性」の欠如も、最近になってようやく公式に採用された規則です。

もし仮に現在[[枕投げ]]を新規に立ち上げれば、かなりの可能性で即時削除の対象になるでしょう。それは、2007年2月現在のウィキペディアの運営方針に反する記述で満たされているからです。ただ、この件に関して検討すると長くなるのでまた後日改めて。

要するに、現在のウィキペディアは枕投げの理論をまとめるのに最適のコミュニティではない、ということです。「そういうことは個人のブログで勝手にやってください。」「アンサイクロペディアにでも行ってください。」とはウィキペディアの「削除主義者」の口癖でもあります。引導を渡される前にSeesaaに移住してまいりました。

今後とも、ウィキペディアのルールと整合する範囲内では編集を行う予定ですが、およそ整合しそうにない範囲の話題はこちらで扱おうと考えております。みなさまのご愛読のほど、宜しくお願いいたします。

申し遅れましたが、私、ウィキペディアにおけるステハンBmuoを今後コテハンとして掲げる事に致しました、Bmuoと申します。2003年より非公式に枕投げの研究をしております。以後お見知りおきを。
posted by Bmuo at 18:21 | Comment(29) | TrackBack(20) | 枕投げ

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